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驕り 選択本願 念願の雨(雨に想うこと) 兆載永劫(ちょうさいようごう) モノサシ 門 親さまじゃ 住処(すみか) うらを見せ ことば 雛祭りと結婚 大悲のぬくもり 顕現 「心」に思う 疑いの心 心の力を抜く お釈迦様は凄い 自力のはからい 死はいいもの・・・? オアシス 鎧(よろい) 未知との遭遇 やすらか 位牌 慈しみの心 大樹の根っこ 人生の宝物 執着心 妙薬 宇宙のいのち 仏さまはいるの…? 生命流 嘘 楽しい…苦しい… 自然な別れ 卒業式の歌 小川と大河 あるがままにみる お釈迦様のおさとり【2】 お釈迦様のおさとり【1】 言葉(仏の相) 見通しのある不安へ 物差し(ものさし) 雪列車 歓喜光 整形手術? 賢き思いを具せず 愛憎違順 魂を入れたり出したり出来ますか! 幽霊とは、私自身の姿だった! 人の手本にはなれないが見本にはなれる 腹がたつ事 最大積載量「女房子供が喰えるだけ」 素直になりたいな あいさつ 四十九日 坊主丸儲け・・お布施の行き先 何をモノサシに・・・ おもいちがい十ヶ条 |
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念願の雨(雨に想うこと)TOP
降った降った… 台風の影響か? 乾ききった大地に雨が降り注ぎ 生死をさ迷っていた木々や緑は大喜び。 水まきは、まんべんなくと思っているが どうしても偏りがでて、 水まきできない部分が出来てしまうが、 降り注ぐ雨には偏りはない。 どんな木や緑も同じ恩恵を被る。 阿弥陀如来の救いの法も 雨と同じで全てに平等に降り注いでいる。 【御伝鈔】 「あまねく甘露の法雨をそそぎて、はるかに枯渇の凡惑を潤さんがためなりと。仰ぐべし、信ずべし。」 |
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兆載永劫(ちょうさいようごう)TOP
さとりに到る所に、門があり鍵(かぎ)がかかっとる。 しかし、この鍵が開かんのであります。 鍵を削り開けようと兆載永劫(ちょうさいようごう)の時間を費やしても、 さとりに到る門の鍵は開くかどうか分かりません。 そこで阿弥陀さまはどうなさったかというと、 鍵穴の方を鍵に合うように、 自らの身を削り、兆載永劫の時間を費やし仕上げて下さった。 その門を浄土門と言い、鍵を南無阿弥陀仏といいます。 鍵は私であり、鍵穴は法蔵菩薩に譬えるなり。 【仏説無量寿経】 「不可思議の兆載永劫において、菩薩の無量の徳行を積植して…」 【御文章】 「弥陀如来の五劫兆載永劫の御苦労を案ずるにも、われらをやすくたすけたまふことのありがたさ…」 |
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モノサシTOP
人は自我の「モノサシ」でものを見る 虹は何色って聞かれたら… 七色と答える。 だが、アメリカでは六色、ドイツでは五色、南アフリカの一部では三色… 色々違うようである。 実際の虹の色に境目は無く、 無限に変化する色が並んでいる。 無限に変化する色の中で、 人々がどの色やどの数を大切にするかによって、 虹の色の数が決まる。 つまり、自分が大事にしている色や数を「モノサシ」にして決めている。 だから民族や文化によって違いが出てくる。 阿弥陀様は善人・悪人・男・女・財産の有無・修行の有無… 一切の「モノサシ」を当てずに、 一切衆生をお救い下さるのであります。 それは「私一人のため」のお救いであります。 |
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親さまじゃTOP
私は一人で死んでいかにゃならん! しかし、誰しも好きな人といつまでも元気でいたいと思う。 だが必ず別れがあり、一人での旅立ちであります。 …実は今生きている時から一人なのでしょう。 お念仏の信を頂く時、一人じゃなかった! いつでも阿弥陀さまと二人じゃった!と頂く世界が開ける。 でも、阿弥陀さまと一緒よりも好き誰かと一緒にいたいと思う私がいる。 阿弥陀さまが人間じゃたら大変じゃ! これだけ貴方一人を思っているのに、 好きな人と一緒にいたいと思うなんて… いい加減せい! と、切り捨てられてしまうだろう。 阿弥陀さまは仏さまじゃ! お慈悲の親さまじゃ! そんな私を見抜いて、 見捨てることなく寄り添って下さる親さまじゃ! |
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大悲の温もりTOP
夜寝ていてふと思ったことがある。 太陽に近づく程、気温は高くなり、離れれば気温は低くなる。 地球は太陽から丁度良い位置にある訳だが… どうして地上では気温が高く、、太陽に近づく上空では気温が低いのか? 早速朝起きて調べてみた。簡単に言うと、太陽の光りは空気の中を通り抜け、海や地面にぶつかって熱が生まれ、その熱が上空に熱を伝えてゆくんだそうだ。 これを浄土真宗のみ教えで考えてみると、 阿弥陀如来のお慈悲は私の悪業煩悩を通り抜け、 私に至り届き信心(大悲の温もり)となって顕現して下さる。 妙好人の源左さんは「お慈悲はぬくいでのう」とおっしゃった。 太陽の暖かさもこの地上におればこそ暖かい訳で、 太陽に近づいたら暖かいだろうと思って 自らの力で高いところにいってもかなわぬ事よ! |
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疑い心TOP
あるご門徒さんが、 学校で納豆の栄養価を勉強し、 是非食べたいと思って、 デパートで購入し家に帰り、 ばあちゃんに見せた。 「…こんな腐っているもの食べるな」と言われ捨てたそうな。 後日、やっぱり食べてみたいと再度購入。 …やっぱり糸を引いて腐っている…。 ヨーグルトを買ってきて、 ばあちゃんに食べてみたら、 「これは酸っぱくて腐っている…」 食べれば栄養があってとてもいい食品なんだけど… 疑い心が受け入れようとしない。 浄土真宗のご安心もしかりで、 曇鸞大師は「礙は衆生に属す。光りは礙にあらず」と云われ、 私に煩悩があるから救われないのではなく、 阿弥陀如来の救いを疑う心が救いを阻むと教えられます。 |
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心の力を抜くTOP
新聞報道によると 交通事故を起こし拘留されるのがいやで、 2時間半余り「死んだふり」をしていた人がいたという。 救急搬送され、病院で尿検査が出来ないので、 尿道からカテーテルを挿入された際も反応しなかった。 警察から呼び出された母親の声を聞き目を開けたという。 警察官は「意識があるのは分かっていたという」から笑っちゃうよね… 死んだふりというのは難しい! スポーツクラブのヨーガ教室に参加したことがある。 私の好きなポーズに「死体のポーズ」というのがあった。 床の上で「大の字」になって、死んだように全身の力を抜くんだけど…、 これが結構難しい!…自分では力を抜いているつもりでも、 インストラクターに 「目の力を抜いて下さい」 「おでこの力を抜いて下さい」… 一つ一つ指摘されると結構「力」が入っているものだ。 心の力を抜く… 無我というのかなぁ… 蓮如上人は御一代聞書(160)に、 「仏法では無我が説かれるからには、われこそがという思いもなく…我執を退けるのは、仏のお慈悲のはたらきである」と示される。 お他宗は、自分の力で「我」を抜こうとするが、 浄土真宗は、自身の罪も障りも生も死も全て阿弥陀様にお任せする一念であります。 〜歎異抄〜 「よろづのことにつけて、往生にはかしこきおもひを具せずして、ただほれぼ れと弥陀の御恩の深重なること、つねはおもひいだしまゐらすべし。」 |
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自力のはからいTOP
私の髪は短いから月2回床屋さんへ行きます。 いつも思うんだけど… ひげ剃りの時、顔に力が入っていると剃りにくいじゃないですか。 だから顔の力を抜こうと思うんだけど… これが難しい… 力を抜こうと思うと何となく顔がこわばってしまう! 考えてみたら、もう年取っているから顔はシワだらけなんだよね! そんな私が自分の力で力を抜いて、 剃りやすくしようと思うのが間違いなんだよね。 床屋さんの手によってシワを伸ばして顔ソリをしてくれる。 阿弥陀如来は私たちに“力を抜け”とは求められられず、 如来さまの側でお手回しして下さるのであります。 自然法爾章に、如来さまのお救いを自然(じねん)と示され、 人間のはからいに依って救われるのではなく、 「如来さまにしからしめられる」とお示し下さる。 |
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死はいいもの・・・?TOP
新聞の人生相談コーナーに40代の主婦が「夜になると死を想像して怖い」と相談していた。昼間は家事・育児・趣味と充実の時を過ごしているが、夜、電気を消しベットに入ると、…いつか自分も死ぬ……重い病気にかかってしまったら……殺人事件に巻き込まれたら…色々想像して息苦しくなると言う。 心療内科医の回答者は死んで帰って来た人はいないし、そういう情報がないから不安になるのでしょう。でも、死を恐怖と感じるのは人が人であることの証です。…よい香りや・音楽に身を置き、心を落ち着けて死について考えてみるのも人生にとって必要では…というようなことを回答しておられた。 ソクラテスは、「死を恐れるということは、いいかね、諸君、知恵がないのに、あると思っていることにほかならないのだ」なぜなら、死を知っている者など一人もおらず、「最大の善いもの」かもしれないのに恐れてばかりいるからだ…」と言われている。 …私ならどうかと自分に聞いて見ると、死は今の私にとって考えの及ばない世界…親さまの(阿弥陀さま)「まかせよ!必ず救う」との喚び声におまかせする一念であります。 〜執持鈔〜 往生ほどの一大事、凡夫のはからふべきことにあらず、ひとすぢに如来にまかせたてまつるべし。 |
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オアシスTOP
浄土真宗の寺院の掲示板に 今では余り見かけなくなったが、 『オアシス』というポスターが張られていた。 『オ』おかげさま 『ア』ありがとう 『シ』しんせつに 『ス』すみません 真宗らしいいい標語だ。 オアシスでも色々な「オアシス」の標語がある。 〜あいさつ運動〜 『オ』おはようございます 『ア』ありがとうございます 『シ』しつれいします 『ス』すみませんでした。 〜避難訓練〜 『オ』おさない 『ア』あわてない 『シ』静かに 『ス』すばやく …思いつきですが私も一つ考えました。 『オ』おまかせの 『ア』安心一つと 『シ』親鸞さまは 『ス』すすめけり (愚作 惠) 注:安心(あんじん)とは他力の信心のことで、 蓮如上人は「一流安心の体といふ事。南無阿弥陀仏の六字のすがたなりとしるべし」と示されます。 |
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鎧(よろい)TOP
戦国時代は鎧を着けて戦場に臨んだ。 現代社会も戦場と言われる。 私たちは日頃から色々な鎧を着けている。…見栄をはる・お金・地位・名誉・ブランド品・学歴・職業・人の視線… 傷つかないように自分自身を守るのであります。 鎧を脱いであるがままの自分をさらけ出せばいいんだけど… 大なり小なり鎧を脱ぎきれない自分がいる。 その私の姿こそ煩悩具足の凡夫の姿であります。 〜歎異抄(9)〜 … そうした私であることを、阿弥陀仏ははじめから知っておられて、あらゆる煩悩を身にそなえた凡夫であると仰せになっているのですから、本願はこのような私のために、大いなる慈悲の心でおこされらたのだなあと気づかれれ、ますますたのもしく思われるのです。 |
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未知との遭遇TOP
「南無阿弥陀仏」って不思議だよね! 私の「罪や障り」が転じられ、 お浄土行きの条件を整えて下さるという。 この世で罪を犯したならば罪を償わなければならないのは必然! 人間世界では考えられないことであります。 …何故…何故? いくら考えてもあり得ないことであります。 まず南無阿弥陀仏という言葉は、 人間世界の言葉ではないのであります。 人間が決めたり、人間が造り出した言葉ではありません。 人間の造り出したものでは私は救われっこない。 まさに南無阿弥陀仏は私の想像を超えた 不可思議なる「仏の御いのち」そのもの…。 南無阿弥陀仏との出会いは未知との遭遇であります。 私たちの世界では、水と油は一つにはならないけど、 宇宙空間では一つになるという。 南無阿弥陀仏は仏の全ての功徳を余すところ無く封じ込められた。 人間に語りかける仏の言葉であります。 その南無阿弥陀仏を、私に称えさせ救って下さる。 これを「全徳施名」(ぜんとくせみょう)と教えられる。 …でも不思議だよね…ナマンダブ… |
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やすらかTOP
霊園にお参りに行くと墓柱にはさまざまな字が彫られている。 浄土真宗では本来「南無阿彌陀佛」だけど… 「○○家之墓・穏・やすらか…」 先日お参り行った家は「やすらか」だったが、 見回すと三戸の墓が「やすらか」と彫られていた。 墓を建てた人が、 亡くなった人に「やすらか」であってほしい。 という想いで彫られるのであろうか…? この受け取り方で、浄土真宗とお他宗との違いがある。 他宗においては、自身の願いを元にするが、 浄土真宗は自身の願いではなく、 それを喚び声として受け取っていくのであります。 「やすらか」であったならば、 亡くなった人に対して「やすらかでいてほしい」と願うのではなく、 仏となられた故人様から「心をやすらかに生きてくれよ」とのメッセージとして受け取っていく。 こちらから「やすらか」であってほしいと願う前に、 先に往かれた方から「やすらか」に暮らしてくれよと願われている訳であります。 そんな意味で、究極の願いを顕したものが「南無阿弥陀仏」であり、 それは「どんなことがあってもあなたを見捨てないよ!必ず救う」という仏の願いを顕したものであります。 道綽禅師の「安楽集」に 前に生まれたものは後を導き、 後に残されたものは、 前に往かれたかたがたの、 みあとを訪ねるようにしなさい。 とお示しになりました。 |
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位牌TOP
当流では位牌ではなく過去帳にしましょう。 ご本尊は本山からお迎えしましょう。 …等々の注意点をご門徒には文章でお知らせする。 それでも中には位牌を作られる方がある。 法名「釋○○」であったものが、 仏壇屋さんで作った位牌には「釋○○霊位」と、 いつの間にか「霊位」が書き加えられている時もある。 「霊」を辞書には「肉体に宿り、または肉体を離れて存在すると考えられる精神的実体。たましい」とある。 たましいが位牌の中に居る訳ではありません。 天親菩薩は「究竟して虚空のごとく、広大にして辺際なし」とあり、 宇宙のように広大でとらわれを離れた世界と示されます。 浄土往生された方を狭い世界に閉じ込めないで下さい。 |
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慈しみのこころTOP
誰にでも出来る慈しみの心! 「寒いね」と言われたら「寒いねェ」と答える。 「寒いね」と言われ「冬だから当然だよ」と答えたら何も言えなくなってしまう。 慈しみの出発点は「相手を受け入れ、心を通い合わせる」ことではなかろうか。 病気で苦しんでいる人に「苦しいよ〜」と言われ、 「頑張れよ!」じゃなくて「苦しいねェ〜」相手と心を通い合わせる。 まさに阿弥陀様の救いの出発点は、「相手の苦しみを、我が苦しみ」(同体の慈悲)とされたのであります。 御文章の「猟すなどり」(註釈版聖典1086-14)にも、漁師に「生き物を殺すことはいけないことだから止めなさい」と言われず、生き物を殺すことはいけないと知りつつも、それしか生きるすべのない人を、救おうとお誓い下さったのが阿弥陀如来の救いの法が示されます。 |
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大樹の根っこTOP
綺麗な花を花瓶に活けても暫くすると枯れてしまう。 屋久島の縄文杉(世界遺産)は7千年余り(推定樹齢)生き続けている。 何故、生き続けているかというと根があるからであります。 縄文杉の木の根はどれくらいの広がりを持っているんだろう…? しかも私みたいにウロウロと動き回るのではなく、 その場所で生き続けている。…尊敬する! 人間も根が大切なんだよね! どんなに栄華な人生であっても一時のこと! 親鸞聖人は 「慶ばしいかな、心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す。」 とお示しになり、 阿弥陀如来のみ教えが「私の根っこ」となって下さり、 私の苦難な人生を支えて下さるだよ! とお示し下さいました。 根を育てるのは人間にとってお聴聞以外にはありますんよ! |
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人生の宝物TOP
私の宝物って何だろう?…宝石・財産・名誉・人でも子供・妻・夫・恋人… ある人は、中学時代の初恋の人と結婚して11年後「好きで好きでたまらない」彼を交通事故で亡くしたそうです。 しかし、今でも彼女の人差し指には16歳の時彼から貰ったビーズの指輪がされているという。 その人にとっての宝物は、彼であり、ビーズの指輪かも知れない。 では、私の人生でなくてはならない究極の宝物ってあるんだろうか? 仏さまのみ教えに聞いて見ると、 いつか離れていく宝物ではなく、 時代が変わろうと、 人に見放されようと、 私を生かしきる究極の宝物は お念仏のみ教えこそが永遠の宝物と示されます。 〜仏説無量寿経〜 「衆のために宝蔵(法蔵)を開きて、広く功徳の宝を施せん」 |
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執着心TOP
ある男が歩いていると、大河に出くわした。 お釈迦さまは、この話を聞いてどう思う? 筏(いかだ)は川を渡る為には必要だが、 私達もこれと同じ生活を送っているのでは…? ○○大学出身…学歴を自慢し 現在のことだけでなく、過去のことから、先祖まで… まさに必要のなくなった筏を担いで歩くのと一緒!! これを執着心といいます。 |
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妙薬TOP
皆さんは高血圧の薬だったり、血栓を防ぐお薬だったりと色々なお薬をお飲みかと思います。 南無阿弥陀仏というのもお薬であります。 このお薬は飲む薬ではなく称えるお薬であります。 この南無阿彌陀佛というお薬は、阿弥陀様の全てのお徳と、お浄土参りの種が全て封じ込まれておりますので、お念仏を申すところに、お浄土へ参りの弊害となる悪業煩悩を残る所もなく無害化し消し去って下さるお薬であります。 阿弥陀様は、南無阿彌陀佛という妙薬の効くことの疑いを除き、私の口を開けさせ飲み込まして下さる。合掌 〜無上甚深章〜(抜粋) |
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仏さまはいるの…?TOP
仏教はお釈迦さまがお説きになった仏の教えですが、 「いる」なら私に見せてくれ!と言う人がいる。 仏さまは月や太陽のように形としては示されません。 心に感じたり、響いてくると言うことは形で表現できない。 NHKの「のど自慢」大会で心に響いてくる人の歌と、 テレビの電波は流れていてもアンテナがなければテレビは映らない。 仏さまがいないのではなく、仏さまを感じる心がないから… 仏さまのお心が至り届き、 その感じる心(響き)は自分で造り出すものではなく、 |
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生命流TOP
「ときめきと思っていたら不整脈」と誰かが詠っていたけど、 寝ている時、ドクンドクンと脈を打ち、心臓から身体の隅々まで血液を運ぶ、ドクンドクン絶え間なく正確に動いている。 人間の身体もそうだけど、海流は海の大動脈、人間の動脈と同じように地球を駆け巡り、あらゆる世界にいのちを恵む。 森羅万象は、内も外もない生命流のうねり。 生命流のうねりの中で、それぞれの波が複雑精妙に関係し合い、 この世界で見られる一切の現象は、生命流の移りゆく相であり、 |
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嘘TOP
4月1日はエイプリルフールで、嘘をついてもいい日とか… エイプリルフールでも、 自分を良く見せようと嘘を言う。 一生涯でどの位の嘘をつくんだろう…? 「嘘も方便」という言葉があるけど、 しかるに私たちは、親鸞聖人(正像末和讃の愚禿悲歎述懐讃)に、 阿弥陀経でも、極楽はこんな素晴らしい所だぞと有相を以て示し、人々を極楽(お浄土)引入し、信心を届けて下さる訳であります。 〜蓮如上人「御一代聞書」〜 |
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楽しい…苦しい…TOP 今あなたの「心」は、苦しいですか?…楽しいですか? 苦しみの反対が楽しみ?… 苦しみは孤独だよね! 楽しみという言葉で思い出すのが極楽という言葉だ。 その楽しの世界(極楽)は遊びのような世界。 正信偈に「煩悩の林に遊ぶ」とあり、子どもが学校から家に帰って来るや否や、ランドセルを放り投げて遊びに出かける。そして日が暮れるのも忘れて遊ぶのである。 阿弥陀様の救いも同じで、おさとりの世界から迷い苦しみ世界へ来て遊ぶがごとく人を救うという。 …まだおさとりの世界へは行っていないけど…楽しみだなァ…。 辛いこと悲しいことあると思うけど、ありのままの自分で、ありのままの姿で、人を責めず生きて行ける自分になりたい。 |
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自然な別れ
TOP 私が勉強になった看護師さんお言葉です。 「人間は高齢になれば、病気や老衰で全ての機能が低下します。自力で飲み込みができなくなったら、無理に水分などは取らない方がいいんですよ。生きるのに必要な水分が体から抜けきって、初めて自然に死ねるのです。死ぬためには、乾ききることが必要で、この状態をドライアップといいます。点滴などなかった昔は、皆そうやって自然に死んで行けたのです。」 …ある人は点滴や酸素マスクをしていると苦しそうなので、先生に頼んで外してもらった。外したら心なしか楽になったように見えたという。そして自然に死を迎えた。 …私の父も亡くなる前、酸素マスクをしていたけど確かに苦しそうだった。あれで本当に良かったのだろうか?…考えさせられる看護師さんの話ですね。 |
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卒業式の歌
TOP 中学校の卒業式で歌われるアンジェラアキさんの「手紙」という曲が人気だそうだ。 負けそうで 泣きそうで 消えてしまいそうな僕は とってもいい曲ですね! この歌詞を聞きながら、お釈迦さまの最後の説法といわれる。 「自らを灯(ともしび)とし、自らをよりどころとせよ、他をよりどころとしてはならない。法を灯とし、法をよりどころし、他をよりどころとしてはならない」 という一説を思い出す。 この言葉は、「自分以外のもにしがみつき、自分勝手に生きて行きなさい」というのではなく、まさに真理(法)を心の奥底に蓄え、自らの道を生きて行きなさい。というお言葉であります。 |
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小川と大河
TOP 好きな歌に「時代おくれ」(河島英五)がある。 酒場を舞台に、自分を静かに見つめ、愚痴を言わず、友を大切にし、(以下歌詞の一部)…目立たぬように はしゃがぬように 似合わぬことは 無理をせず 人の心を 見つめつづける時代おくれの男になりたい… でもなかなか出来ないんだよね! お経に「底の浅い小川の水は音を立てて流れるが、大河の水は音を立てないで流れる」と示されるが、大河のように思慮深く口を慎み生きたいが、私なんか口数は多いし思慮が浅い小川そのもの… でも、底の浅い小川も大河と同じように海に流れ込み、一味の塩味(さとり)の世界に転じられるという。 〜高僧和讃〜 (現代語訳) 〜本典(行巻)〜 |
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あるままにみる
TOP 本日拝読しました和讃に「智慧」という言葉が出てきました。 仏教でいう智慧とは「如実知見」(あるがまま見る)ということであます。 先日床屋さんでWBC韓国−日本戦を見ていたら、 店長に「あれ!イチロ−右打ちでしたっけ?」すると店長は鏡・鏡という。 あ!そうか鏡に映ると反対になるんだよね!ビックリ…! 私たちは鏡であるとか自我という色眼鏡を通して見ている訳であります。男・女、お金が有る無い、地位、学歴…等々という肩書きや姿・形に惑わされて実際はあるがまま見ていない。 私たちの智慧は「分別の智慧」(混ざりものがある)であり、仏さまの智慧は「無分別」(ピュア100%純粋)であります。 …以下省略 |
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お釈迦様のおさとり【2】
TOP 【縁起】 私たちの身体で、体内ホルモンが低下したので、そのホルモンを薬で補う。 ドリンクの自動販売機だと異物が入ってくると詰まってしまうが、私たちの身体は余計なものをが入ってくるとバイパスを作ったり、何とかそれを無害化しょうとしたり、分解して排出しょうとしたり、…常に揺らぎ、変化しながらバランスを保っている。 お釈迦さまは、私たちの身体に限らず、宇宙に存在する森羅万象の全てが互いに関係し合い大きなつながりの中にあるという真理に目覚められて仏陀となられた。 |
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お釈迦様のおさとり【1】
TOP お釈迦様がおさとりを開かれ、最初その内容が世の人の考え方と違っていた為、教えを説くことを断念されたという。 そのおさとりの内容とは… お釈迦様のおさとりは、この世は「因・縁・果」の道理に従い、花の種(因)に縁(水・太陽の光・栄養等々)をいただき花が咲く(果)という因縁果の道理であり、下記の@ABの考え方を否定なさいました。 @この世は偶然の連続。何もなかった所に忽然と現れる。こういう考えだと人間の努力など必要なくなってしまう。(無因論) Aこれも運命だからあきらめましょう。人の人生は定められている。真面目に生きても無駄だよね。(宿命論) Bこの世は神が支配している。神の思し召し。自分以外のものが私の人生を支配している。(神意論) 「火の車 つくる大工はなけれども おのがつくりて おのが乗り行く」 |
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言葉(仏の相)
TOP 最近は何でも言葉を省略する。ワープロ・地デジ・ワンセグ… 私のように歳をとった人も負けてはいない! 人それぞれに脳の形も違うのに「ね、分かるでしょ!」と言われても分かりません! 人間はものを考える時、言葉を使って考える。 おさとりの世界は本来言葉に出来ず不可称・不可説・不可思議という。 言葉に出来ない世界を、私に分かるように阿弥陀と名乗り、お釈迦様という人間の形を通し、仏説無量寿経という教説を通して私たちに分かるようにして下さった。 別な言い方をすれば私たちのレベルに降りてきて下さり、私を救って下さる仏の相であります。 |
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見通しのある不安へ
TOP 人間は自分の思い通りにしたいという心(自我)があります。 お念仏に出遇うことは、 ある人は「死にとうない 死にとうないけど 参らしてもらうんじゃ」と言われたというが実際その通りだと思う。 それを浄土真宗では「安心」(あんじん)と教えられる。 |
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物差し(ものさし)
TOP 保育園で節分の鬼の絵が飾られていた。 自分の子供の鬼の絵は、 家に帰り聞いて見ると、 …安心すると共に、ちょっとヘンテコな鬼だけど、 浄土真宗でいう「悪人」でも、 |
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歓喜光
TOP あァ…知らなんだ!知らなんだ! 阿弥陀如来の異名はそのはたらきにより種々の名がありますが、 親鸞聖人の「弥陀如来名号徳」に とあり、怒り腹立ちの「罪」を除くためとあるではありませんか。 五劫もかかるはずですよ!そこまで考え抜いていて下さるとは… 思い通りにならない時カッと怒る私。 そんな私の怒り狂う私をそっと抱き続け、 |
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整形手術?
TOP 海外から帰国時、 係官はパスポートの写真と本人の顔を見比べながら… 私は思わずハハ〜ン整形手術しなんだなァ…と思った。 やっぱりこの世は美しく可愛い方がもてるからなァ… 阿弥陀さまは、姿や形で苦悩する人間の姿を見抜いて、 〜仏説無量寿経〜 (意訳)わたしが仏になるとき、わたしの国の天人や人々の姿かたちがまちまちで、美醜があるようなら、わたしは決してさとりを開きません。 |
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賢き思いを具せず
TOP お雑煮は地方や家庭によって、 全国ネットの雑誌社から いつもと同じように紹介すれば何ともないことでしょうが… 出来上がってみれば特別なおだしで出汁をとり、 お念仏を頂くことは、自分の手柄はいりません。 〜歎異抄 |
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愛憎違順 TOP
今年はガリレオが10倍の望遠鏡で初めて宇宙観測し400年経つそうだ。
それまで月は水晶のようだと思っていたものがクレーターを見つけたり、地動説の発見等々あるが…、400年後の今、ハワイにある国立天文台の望遠鏡「すばる」は、東京から富士山頂のボールを見分ける精度があるそうだ。
今や人類は宇宙の隅々まで見ることの出来る「目」を持った。
しかし「外を見る目」は持ったが、「内を見る目」は、…仏さまの教えの衰退と共に失いつつのを実感する。まさに末法であります。
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魂を入れたり出したり出来ますか! TOP |
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幽霊とは、私自身の姿だった!TOP |
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人の手本にはなれないが見本にはなれる TOP 浄土真宗に帰すれども |
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腹がたつ事 TOP |
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最大積載量「女房子供が喰えるだけ」 TOP |
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素直になりたいな TOP |
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あいさつ TOP |
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四十九日 TOP |
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坊主丸儲け・・お布施の行き先 TOP |
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何をモノサシに・・・ TOP |
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